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惰性

毎日、中途半端に過ごしてしまっている。

とりあえず、課題をやって、進捗報告があるからそれに向けて準備をして、ゼミの発表があるからそれの準備をして、学会の申し込みの要旨の締め切りがあるから下書きを書いて。

義務感や締め切りのみが原動力になっている。こんなもんじゃないはずなのに。もっと、内側からあふれてくる気持ちに押されて行動したいってずっと思っているのに、それができるのは限られた時間だけで。

本当に、自分がやりたいことって何なのか、またわからなくなってしまっている。海外の院に行ってみたいのは変わらないけれど、正直言って、まず無理。日本語で、かつ環境自体劣悪ではないこの状況ですらまともに戦えない、自身が精力的に活動できていないのに、海外なんてちゃんちゃらおかしいし、残された残り一年程度で行くのに必要な要素をそろえられるはずがない。

残り半月で学会の要旨の提出。これが全くもってできていない。大きくはない学会。だけれども、初めての学会。ここでポスター賞取れなかったら、引くべきなのか。絶対ポスター賞を取る、そのつもりで残りの半月、研究はやる。

まだ自己同一性が確立されていないことが恥ずかしい。けれど、とにかくやっていくしかない。

 

そういえば、やることは決まっているけれど、やらないことを決めていないために、時間が足らず、やるべきことがやれていない。まずは、今月の残りの時間、これだけは絶対やらないと決めた。まとめサイトの閲覧、通知されたもの以外のSNS閲覧。これだけでもずいぶん変わるなぁ。きっと。

まずはこの半月。やるだけやってみよう。

新年度、勝負の年度

ちょっと落ち着いた?というか、気持ちを落ち着けたいので、ブログを更新。

3月まで学費を貯めるために、ひたすら10時から22時まで、パートタイムをハシゴして、何とか間に合い、今は研究室の席に落ち着いています。

昨年度一年を振り返ると、それはもう、理想とはかけ離れていましたね。前年度、ではないのですが、2016年1~2月は夜勤のドライバーをして毎晩毎朝、命張って、でも全然それに見合うとは思えない給料でただただ時間を売り飛ばして。3月に上京したものの、脳は完全にマヒしていてマトモな思考は全くできていなかった。4~6月はその流れで酷く右往左往しながら、何とか教職に必要な単位とか、お金とかをやりくりして、7月の大学院の院試は奇跡的にペーパーも面接も無難にこなせてパスして。。昨年夏までは周りに支えられっ放しでした。一人だったら、精神的に持たなかったと思う。インターン先には大変迷惑、というか心配をかけました。

9~12月は、今振り返るとただただ甘えていました。大学院進学が決定したことで、残り半年で数十万貯めなきゃいけない、ということで働き詰めではあったものの、今年の2~3月のことを思えば甘えてしかいなかった。大学院の合格で何か安堵していたものがあったのかな、本当はそこでもっと頑張らないといけないのに。最終的に、メインの所属の大学での教職まわりの科目はちゃんとすべて取れたものの、教職に関する科目のために登録していた東洋の通信課の単位は20単位中2単位しか認定されなかった。最後レポート出し忘れたり、スクールの予約期限忘れていたり、包括的一般的内容を含んでいなかったり。もうめちゃめちゃでした。ただ、本当に最低限のところ、今年度介護等体験に行くために必要な科目の2単位を取れていたことだけが救いでしたね。そこは最後の最後、一晩気合だせた自分を許す。

だらだらと一年+αを思い出してみましたが、意識的に高パフォーマンスを出せるようにならないと何にもならない、できない自分を認識できた時間だったと思います。頑張れば大丈夫なラインで、頑張ることができて、成果として出す。このサイクルを自分で計画立てて、早期に実行、より良い成果を得る、ということをしないと修士の二年間、どうしようもなくなってしまう。

この二年間で、絶対教員免許を取って(保険)、海外の博士課程(候補出し中。遅い)に行く。技術者として、採用されるレベルのプログラミングスキルと、学会発表、論文を作成する。自力をつける。

周りの意見ではなく、自分の軸で、責任もって、人生の舵を取って、社会のどこかでドンと仁王立ちする。胸を張って生きるために、毎日前をみて、やると決めたことをやる。やれるだけ、やろう。

片頭痛への対処

自己備忘的な記述。

つい先日、自身がプロジェクトマネージャーとして参加しているPjtが大詰めのなか、片頭痛で早退したことから。

頭痛からの嘔吐を経て、頭痛薬を飲む、カフェインを採る、ニコチンを摂取する、眠る、の4つで何とかその日のうちに回復することができた。事後的な対応はできるようになったが、いまひとつ発生前対応ができていない。今現在やっていることとすれば違和感があったらカフェインを摂る、という程度。

 

そのため、原因面からの振り返りをしておく。

片頭痛を認識し始めたのは大学2年次の頃だった。先輩の紹介で、カット一回1000円台の美容院に隔月で通い始め、毎回頭痛に襲われ、酷いときには嘔吐に至ることが数度あった。片頭痛という現象自体も知らず、頭が痛くなるのは体調があまりよくないものと同程度にしか思っていなかった。

当時は頭が痛くて不都合なことが左程なかったし、どんなに酷くても次の日には治っていたため気に留めなかったのだろう。しかし、インターンなどでそれなりに自分の体調が崩れると不都合が生じるようになってから、これは何か原因を知っておいたほうがよいのではないかと思い始めた。頭痛自体は脳のまわりの血管が膨張して云々、ということだが、その現象自体のトリガーは人によって異なるらしく、経験的に何がもととなっているかを知ったほうがよいとのことだった。

数年かけて気がついた自分のトリガーは3つ程度。強い順に、におい、肩首の凝り、低気圧。これらの複数が重なると発生する。

においは、特定のにおいに反応する。美容院などを主とした化粧やヘアスプレーの芳香剤、香水の匂いがキツいと発生しやすい。中には大丈夫なにおいもあったり、むしろ落ち着かせてくれるものもあるため一概には言えない。NGとわかった場所にはいかない、無理なにおいの人の近くには極力いかないくらいで、たいてい場当たり的に口呼吸にするとか、早くその場所を離れるとかしかできていない。マスクは少しは気を紛らわしてくれる程度。

そういった着飾る系?の匂いはあまり拒否しにくい、というか相手も身だしなみのために普段からやっていることなので自分の都合でどうともしがたい。一方で、もうひとつダメな系統のにおい、たばこのにおいは明確に拒否するようにしている。これは部屋の壁についた残り香?のようなものが一番耐えられない。そのため、喫煙可の飲食店は分煙であろうと絶対入りたくない。仕事での打ち合わせでも、社外で同僚のみでやる場合は禁煙の場所をお願いしている。自身もたばこは吸えるクチなのだが、アルコールが入らないと飲めないパーティースモーカーだ。非常に都合の良い話だが、酒の席とならない限り、紫煙は目にしたくないものだ。

首方の凝りは姿勢が固定されると起こる。もはや一般的なことだが。緊張しいな自分は昔だと美容院に行くだけでもカチコチだった。知らない人と話すし、何より動いちゃいけないという意識から肩から上の筋肉は収縮し通しだった。あとは、クライアントの訪問など、緊張するシーンはうまくリラックスできないと兆候が現れ始める。我ながら情けないと感じるが、これを知るまでは負のスパイラル(大事な場面で緊張する→体調が悪くなる→パフォーマンスが下がる→自信がなくなる→大事な場面に対する恐怖心が増幅する→失敗への恐怖心から緊張が増す)が続いていたが、意識的にリラックスすることでスパイラルの入り口を狭めることができるようになった(パフォーマンスは別途上げなければならないが)。片頭痛で何が困るかといえば、それによって特定の活動ができなくなることだ。

書いていて気付いたが、仕事も何もない、休日の夕方とかになってくれれば早めに眠るだけで済むのだが、そうも都合よくなってくれるものでもないため、シーン別の対処は非常に大事だ。匂いからは逃げる、マスクをつける。凝りには意識的なリラックス。カフェイン。今思えば早めのパブロンとかいうのは試したことがなかった(早すぎるパブロンは眼中にもなかった)。

daikoma.hatenablog.com

最終的には眠ることによって症状が収束することからも、すぐ眠るのが大事なのかもだけれど、実践できたことはまだない。なんだかんだ家までに帰ったり、必要なことをしてから、、とか言っているうちに悪化して吐く、ということが王道パターンだった。その場で即眠る、ということも今後試そう。

低気圧が原因のひとつとして残っていたが、これは低気圧下の日がなんとなく多かったと感じる程度で、相関があるかは不明。対処法もまったく思い浮かばない(気圧場から逃げるor室内気圧を上げる??笑)。やるとしてもほかの対処法に包括されるものになるのだろう。

自分向けにまとめると、兆候がでたら(気分に違和感があったら)可能な限り早く、その場で眠ろう。パブロン系は常備、兆候が出たら早めの服用。カフェインはいつでも摂ろう。

吐くに至る酷いものは2~3か月に一回あるか、ないかのイベントだけれども、人生の大切な一日を、防げるものならばそんなもので無駄にしたくない。大事な一日のために備えよう。

教授に大目玉

先日、担当となる教授に大変失礼な発言をしてしまった。

その場で諫められたが、その瞬間自分では納得がいかず話も中途半端に別れてしまった。

 

一晩中そのことを反芻していると、自分の大変な勘違いと甘えを持っていることを自覚させられ、翌日教授に自分の誤りを認め、反省の意を示した。これまた話の途中に研究室の飲み会の号令がかかってしまい話は打ち切られ、教授の隣でお酌をしたわけだが、、自分の気持ちは伝わり切っていないと思う。

 

それ相応の行動を示していくしかない。今自分ができることをすべてやっていくだけだ。